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2017.04.28

【上松俊貴×内田理久】「上松には前衛のオーラがある。雰囲気や駆け引きなど、勉強させてもらった」#01(全4回)

WEB連載シリーズ『高校王者たちに聞く、勝つために必要なこと』◎早稲田大ルーキー対談

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2009年3月に行われた春の全小の決勝で、上松(左)と内田(右)は初めて対戦した 写真◎小塩裕

高校シーンでトップに上り詰めたチャンピオンたちに『勝つために必要なこと』を聞くWEB連載がスタート。

今春、早稲田大に入学した世代トップ前衛の上松俊貴(岡山理大附高卒)と内田理久(三重高卒)。ともに中国地方出身で、小学生時代から全国の舞台で戦ってきたライバルであり、高校ではそれぞれインターハイ高校選抜で日本一の座を勝ち取っている。小中と全国制覇を成し遂げたエリートである2人にとっても、簡単ではなかったという高校の頂への過程で、どんな経験をし、勝てない時期をどう乗り越え、ブレイクスルーを果たしたのか。勝つために本当に必要なこととは?

【上松×内田】対談(全4回)の第1回は2人が初めて対戦した春の全小から中学生までの話。

上松俊貴(早稲田大1年)
うえまつ・としき 1998年6月11日生まれ。岡山県出身。身長181cm、右利き、前衛。岡山Kids(小1)→岡山理大附中→岡山理大附高→早稲田大。2017年ナショナルチーム
高校時代の主なタイトル◎ハイジャパシングルス連覇(2015、16年)&ダブルス優勝(2016年)、インターハイ個人優勝(2016年)、アジア選手権ダブルス優勝(2016年)
内田理久(早稲田大1年)
うちだ・りく 1998年5月25日生まれ。島根県出身。身長179cm、左利き、前衛。浜田ジュニア(小1)→浜田第一中→三重高→早稲田大。2017年全日本U-20チーム
高校時代の主なタイトル◎高校選抜優勝(2015年)、国体優勝(2016年)
早稲田大軟式庭球部のテニスコートにて、内田理久(左)、上松俊貴(右)

早稲田大軟式庭球部のテニスコートにて、内田理久(左)、上松俊貴(右)

「岡山にバケモノがいる」

――2人が初めて顔を合わせたのは、小5になる直前の春の全小だったとか。

内田 僕は最初、「岡山にバケモノがいる」と聞いていたんです(笑)。それが上松で、決勝で初めて対戦しました。試合中、スマッシュもすごかったし、「勝てねぇ~」って思ってプレーしていました。

上松 内田は山根(稔平/現・高田商業高3年)と組んでダブル後衛で、実際に対戦したら、とてもやりづらくて。結果、負けてしまったんです。あのとき、「同年代の選手だから、これからも上位で戦っていく相手になる。今後、どうやって倒していけばいいのか」って考えました。

それから練習時間の半分以上を、スマッシュ強化にあてていきました。まだフォームも完成していなかったですし、確率も高めないといけなかった。パワーもスピードもつけたかったし、並行陣相手にはコースを突いてスマッシュを打たなければならないし……。とにかくスマッシュばかり練習していましたね。時間がかかったけれど、あのときの経験があったから、結果的にいい方向に向かえたと思います。

――上松選手は、恵まれた身体能力でスマッシュ力も容易に向上させたのかと思われがちですが、時間をかけて、努力を積み重ねたからこそ、だったのですね。

上松 時間をかけて繰り返し練習したんです。

内田 僕は、あの対戦で、こんなに強い相手が同年代にいるんだと、びっくりしたのが一番でした。こういう選手に勝たないといけないのかぁと。

上松対策として、初めは頭越しにロブで振ろうと考えていましたが、上松にもそれを読まれてロブをことごとくスマッシュで仕留められた。それにバックハンドも攻められていましたしね。ロブを待たれていたから、それじゃぁ、後衛前にロブでつないだり、打てるときに仕掛けるとか、頭を使っていこうと変えていきました。

上松 理久のほかにも、僕らの同世代には強い選手がいますから。所属していたジュニアチームの中にも上位で戦っている人がいましたし、大阪には1学年上に内本(隆文)/丸山(海斗)がいて、奈良には2学年上の新子(徹)/星野(慎平)もいました。大会ももちろんですが、練習試合に行って、そういう選手たちと対戦して成長させてもらいましたね。小学生ながら、豪華なメンバーと触れ合えたのは大きかったですし、勝ちにこだわる意識も出てきました。

内田 僕は真逆ですね。小1からソフトテニスを始めたのですが、地元にジュニアクラブができて、たまたま入ったという感じです。できたばかりで強くはないし、上松のクラブに比べたらお遊び的な(笑)。僕と僕の兄と、山根と山根のお兄ちゃんとかがメンバーで。親同士もペアだったので、家族ぐるみでやっていたクラブです。

理久が前衛に転向しても驚かなかった

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2010年8月の全小個人決勝で2人は再戦し、上松(左奥)がリベンジ。右奥が内田 写真◎菅原淳

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2010年全小の表彰式で。他の選手に比べてカラダが大きかった2人(右が上松、右から3人目が内田)。上松は団体も制し、2冠を達成した 写真◎菅原淳

――そんな2人は、小6になるときの春の全小で内田選手が個人優勝(/山根)、夏の全小個人では決勝で激突し、今度は上松選手(秋山/)がリベンジ。そして、中学へと進学していきます。上松選手は岡山理科大附中、内田選手は浜田第一中へ。

上松 確か中1の中国大会の2、3回戦で当たったんですよ。そのときは勝ったけど、やっぱり「今後も対戦し続ける相手だろうな」と意識しました。

僕は理大附中でしたが、附属の高校生とも一緒に練習や試合ができ、本当に充実したいい環境だったと思います。困ったら、自分で考える習慣を植え付けられたし、高校生に聞いて知識を得ることができました。

展開や技術に関しても、中学の枠を超えてやり合えるような感じで、自分の成長も感じられて、あの環境でプレーできたことが自信につながりましたね。僕にとって、中学時代は本当に大きなポイントになる時期でした。

内田 僕は中学に入って後衛から前衛に転向したんですが、実は前衛をやるとは思ってもみなかったんですよ(笑)。中学校は強い学校ではなかったし、前衛が足りない状態で、前衛と後衛をチェンジしてやる入れ替え戦をして遊んでいたんですが、そのときいい感じで前衛をやれたんですね。それで「ちょっとやってみるか。やってみて、また後衛に戻ってもいいし」と周囲の人に言われて。

上松 理久は小学生のときも、後衛ながら前に出てボレーをしていたから、僕は噂を聞いたときにはそんなにびっくりはしなかったかな。

内田 前衛経験がないわけですから、目標の選手を見つけて学ぼうと。上松も目標にしていました。敵わないのはわかっていたけれど、とにかくマネしようと思っていました。

でも、上松は「コレは絶対無理~」みたいなプレーもしますから(笑)。上松には『前衛感』というか、オーラがある。僕は新米前衛だから、雰囲気や駆け引き、いろいろな面を見て勉強させてもらいました。

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中学生で前衛となった内田は中2終わりの都道府県全中で島根チームの大将として団体優勝 写真◎井出秀人

上松 理久は左利きなので、対照的。でも、中国大会とかで対戦してもドンドンうまくなっているのが分かった。ただ、タイプは違う前衛だなとは思いましたね。僕はどちらかというと『派手』、理久は『的確』なイメージというか。とにかく抜かされないためにも、自分の持ち味であるパワー系に磨きを入れていこうと思いました。

中学では上松を見てる側だった

――中学時代は、互いの存在によって、意識が高まりましたか?

内田 中学時代は、僕は上松を見ている側の選手でした。だって、全中の個人決勝が理大の同士討ちですから! レベルが違うなと思いましたね。

それと、試合中、後衛は相手の後衛と前衛の両方を意識すると思うんですが、前衛からすると、相手後衛のことは意識するけれど、相手前衛のことはそれほど意識はしないんです。そうだよね?

上松 そうだね。すごく意識するというより、今後も対戦していくだろう相手だから、自分も技術力を磨いていこうという励みになった感じかな。

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上松(右)は中3の全中で個人連覇を達成。大橋元司監督、ペアの村上智基と。ちなみに同2位は内田が三重高で組むことになる西郷第二中の田邉雅人(/佐藤勇乃介)だった 写真◎桜井ひとし

上松俊貴×内田理久対談INDEX

#01「上松には前衛のオーラがある。雰囲気や駆け引きなど、勉強させてもらった」
#02 内田のインハイ3位に衝撃。「高3で結果を出すにはどうしたらいいか考えた」
#03 「私生活がしっかりしていないと勝てない。国体優勝で証明できた」
#04 「高校で勝つのは基本ができる選手。技術はもちろん食事と睡眠も大事」

取材・構成◎八木陽子