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国体優勝、そして6度目の国際大会に臨む森原可奈「ただいるだけでは役に立てない。経験を生かし、貢献したい」

アジア選手権で2年ぶりの代表復帰を果たした森原可奈。かつて杉本瞳、宮下愛未ら日本代表の中心メンバーを擁した東芝姫路だが、2015年はチームから1人も代表が出なかった。国内でも振るわず、東芝姫路の団体タイトルは2014年の夏、全国実業団が最後となっていた。2016年、ペアの深澤昭恵、泉谷朋香とともに代表メンバー入りし、全日本社会人優勝(深澤/)国体優勝と調子を上げている。

悔いの残らぬように、迷わず、自分のひらめきを信じて

国体は、チームの雰囲気が良かったですね。大会前、それまで勝ちきれなかった原因について、話ができた。さらに油断なく、気持ちの強さを持とう――それをみんなで実践できた。いつも、あと一息のところで負けてきていました。2015年の国体近畿予選敗退は最終戦で決まったのですが、「負けても1-2なら勝ち抜け」の状況。そこを0-3で持っていかれました。

2015年日本リーグは、1日目でワタキュー(セイモア/優勝チーム)に勝ったのに、2日目の星を落とした。今年の実業団選手権(準決勝・ワタキュー戦)は、相手の大将に勝ったのに、あとが続かなかった。

それが、今回は勝ち切れた。

大きかったのは、深澤、泉谷と一緒にやっていたトレーニングに、後衛の若田(実友子、3年目)が加わって、メニューに取り組んでくれたことでした。代表のトレーナーから渡されているメニューがあって、それを毎日3人で残ってやっていたのですが、あるとき若田を誘ったら、「どこまでできるか分からないですが、やってみます」と言って、一緒にやるようになったんです。トレーニングの合間や後に、4人であれこれしゃべっている中から、国体の話になりました。

「国体、勝ちたいなぁ」 と誰かが言って、今チームに足りないものについて話すことができました。「あと一歩、の場面で気を抜かない」。国体は苦しい試合でしたけれど、まさにその部分で勝ちきれた。

私と深澤だけでなく、泉谷が代表に選ばれたのはチームにとって大きかった。そこ(トレーニング)に、若田が素直に入って来てくれたのが、チームが変わるきっかけになった気がします。

アジア選手権、今年は日本で開催されますね。国際大会というと、私にとっては海外でやるイメージが強すぎて、今回は想像ができません。対戦国の選手も結構入れ替わっていて、私の方がいろいろ教わっているくらいです(笑)。

私は今年の予選会で勝てず、昨年の実績もない中で選出されているので、「何か」をしないと存在意義がありません。ただいるだけでは役に立てません。経験を生かしながら、それを見つけて貢献したい。個人としては、悔いの残らないように、迷わず、自分のひらめきを信じてプレーしたいと思います。

森原(左から2人目)の初めての国際大会は2010年のアジア競技大会。ソフトテニス競技の最高峰と言われる同大会で、森原は国別対抗(団体)に出場し、女子初のアジア競技大会国別金メダル獲得に貢献

 

>>森原可奈インタビューの全文は10/27発売のソフトテニス・マガジン12月号に掲載

profile
もりはら・かな●1989年5月30日生まれ、広島県出身。どりーむジュニア(小5~)→仁保中→広島女子商学園高→東芝姫路9年目。前衛。2010年に広州で行われたアジア競技大会で代表デビューし、団体で金メダル獲得。2014年のアジア競技大会まで5大会連続出場。2016年のアジア選手権で2年ぶりの代表復帰。

写真◎BBM 構成◎成見宏樹(ソフトテニス・マガジン編集長) 取材日◎2016年10月11日
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