2016年11月16~20日のアジア選手権で、金メダルを3つ獲得した唯一のプレーヤーとなった船水颯人(ミックスダブルス、ダブルス、国別対抗)、19歳。ダブルスに集中して取り組んだという2016年は、全日本インドア、全日本選手権(/星野慎平)でダブルス日本一の称号を手にしている。
「次の目標に向けて、スタートを切っています」と語る視線の先には、2年後の2018年にインドネシアのジャカルタで開催されるアジア競技大会がある。
ソフトテニスマガジン・ポータルでは、船水颯人の2018年ジャカルタ(JKT)アジア競技大会に向けた取り組みをインタビュー連載で追っていく。船水颯人『JKTへの道』第2回は、同士対決を勝ち上がったアジア選手権のダブルス、長江光一とペアを組んだ国別対抗について。
船水颯人/ふねみず・はやと 1997年1月24日生まれ。青森県出身。身長170㎝、右利き、後衛。黒石烏城クラブ(小1)→黒石中→東北高→早稲田大
タイトルを取れないと、二度とこの舞台に立てない
――前回、ダブルスは「誰と組んでも抵抗ないタイプ」と話していました。アジア選手権で組んだ上松俊貴選手(岡山理大附高)との相性は、特によく見えました。
僕も組みやすいと思っていますし、向こう(上松)もそう思ってくれている気がします。伸び伸びとプレーできていますからね。お互いに信頼し合っているのは大きいです。前で思い切ってプレーしてくれるので、その分、僕も後ろで走ることができました。
――2014年4月のアジア競技大会予選会で組んだときは(船水が17歳、上松が15歳)、上松選手が「勝ちに行きましょう」と積極的だったと話していました。
今回は僕からも「勝ちにいこう」とか、声を出していました。ダブルスで、このタイトルを取れないと、二度とこのような国際大会の舞台には上がれないという覚悟で臨んでいましたから。昨年の世界選手権以降、ダブルスに力を入れて取り組んで、照準を合わせて準備してきたので、コンディションも良かったです。
――金メダルという結果も出ました。
準決勝で、篠原(秀典)/小林(幸司)ペアに勝てたのは特にうれしかったですね。
――決勝よりも?
篠原/小林ペアは日本をずっと引っ張ってきた人たちですから。篠原さんには僕が小学生のときに地元青森の講習会で指導を受けたこともあり、ずっと憧れの存在でした。その人たちと一緒に国際大会で戦えたことは感慨深かった。篠原さんを超えていくのが一つの目標だったので、やっと本番で勝てたという気持ちでいっぱいですね。
試合内容は、どちらに転ぶか分からないような展開でしたが、テニスを楽しむことができました。向こうも準備してきたことがあったと思いますが、それはこちらも同じ。直前合宿の練習ではG⑤-1、G⑤-2というスコアで僕らが勝っていたのですが、本番ではそううまくいかないと思っていました。何かやってくるだろうって。実際、すごく苦戦しました。一本一本のショットが正確でしたし、これが経験値か、と感じる場面もありました。
ダブルス決勝は、1本目以降ムダなショットはなかった
――上松選手とは、どのような準備をしてきたのですか。
お互いが良い状態で大会(アジア選手権)を迎えることができたのが良かったです。2016年、上松はハイスクールジャパンカップ、インターハイでともに優勝していましたし、僕もインカレ、天皇杯を制して自信を持っていました。ペアで練習する機会は合宿のときくらいでしたが、モチベーションは高かったです。
――ダブルスの決勝も日本勢対決(内本隆文/丸山海斗)になりました。内本選手は早稲田大の後輩ですが、やりにくさはありましたか。
それはないです。向こうは(準々決勝で)キム・ドンフン/キム・ボムジュン(韓国)に勝って勢いに乗っていたので、僕らが受け身に回ると負けると思いました。
ゲームに入る前から上松と試合のプランを立てていたので、試合後はやり切ったという感じでした。ポイントは取られましたが、こっちが狙い通りのコースに打って、打ち返されたものだったので、ダメージはなかったですね。何本取られても、同じコースに打つと決めていたので。ショット一つひとつの精度、配球などにもこだわっていましたし、試合を支配している実感はありました。
決勝は1本目以外は、ムダなショットがなかったと思います。
――優勝したあと、上松選手とは何か話をしましたか?
すぐに国別対抗(男子団体)があったので、勝利に浸っている時間はなかったです。上松には、まず「ありがとう」という感謝の言葉をかけました。助けてもらいましたから。2018年にはアジア競技大会があるので、「一緒に金メダルを取りにいこう」と話しました。お互い次の目標に向って、すでにスタートを切っています。この1年間は国際大会がないので、しっかり準備していきたいです。
――観客数も多かったですね。
あの大歓声のなかで、プレーできたことは幸せです。
強すぎる勝ちたい気持ちを極力捨てること
――優勝した国別は日曜開催とあって、さらに会場は盛り上がりました。
会場が盛り上がっても、気持ちは、いつもと同じでした。あまり考えすぎることはなかったです。どのような舞台でも平常心で臨めるのは僕の強みだと思います。
――なぜ、あまり緊張しないのですか。
緊張しないためには、どうすればいいのかを考えています。正直、高校時代までは緊張で硬くなる方でした。大学に入ってから、『強すぎる勝ちたい気持ち』が緊張を生んでいることに気が付きました。
矛盾するようですが、勝つためには、勝ちたい強い気持ちを極力捨てること。それが、僕なりの気持ちの準備です。2016年は、どの大会も自信を持って臨むことができました。
――国別対抗で長江光一選手とダブルスを組んだことは、少し驚きでした(準々決勝、準決勝。出番はなかったが、決勝のオーダーも船水颯/長江)。
最初、僕も驚きでした。どうしようかな、と思っていたんです。僕は前に出るスタイルではないし……。それでも、長江さんが僕に合わせてくれたので、やりやすかったです。相手に応じて、長江さんが前に行くこともあったと思います。そこは状況に応じて対応しようと話していました。ベースは僕が試合を組み立て、長江さんにショットを決めてもらうという形でした。実際の試合では、なかなか思い通りにはいかなかったですけどね。
――それでも、準決勝では中華台北の余/陳をG⑤-3で下しました。
相手には勢いがありましたが、僕らにはホームの観客がついていました。あの試合の勝因は、応援の力だと思います。
――決勝は出番が回ってきませんでしたが、1番の篠原/小林の戦いぶりを見て、どう思いましたか。
さすが、だと思いました。国際大会に懸ける思いを感じました。勝利(G⑤-3)で増田(健人)さんにつないだのは大きかったですね。日本チームに流れを引き寄せたと思います。
――国別では世界選手権に続き、2度目の金メダルでした。手にしたときは、どのような気持ちでしたか。
2015年はチームに急きょ入れてもらったので、無我夢中にプレーしただけでした。正直、特別な準備をしてきたわけではなかったです。このアジア選手権は、国別もダブルスも狙って、金メダルを取れました。自分の取り組みが正しかったことを証明されたと思っています。
次回の連載は、ベスト16で敗れたシングルス、2017年の抱負について。次回は2016年1月13日公開予定。
船水颯人『JKTへの道』#01 国際大会初の個人戦金メダルに「興奮しすぎました(笑)」
2016年12月30日公開