「大変なら、うち(三重高)で生活したら」
2017年の全日本高校選抜が3月28~30日に愛知県名古屋市・日本ガイシスポーツプラザで行われる。ソフトテニスマガジン・ポータルでは、WEB特別企画としてソフトテニス記者の八木陽子氏による『センバツを振り返る』をソフトテニス・マガジンの秘蔵フォトとともにお届け。
2011年3月、行われなかった高校選抜で、優勝候補として戦うはずだった東北高。前年に1年生大将の船水/九島、丸中/鈴木の活躍で選抜を制し、連覇への期待が高まる中、中津川監督とアンダー選出の選手は三重県四日市市の全日本アンダー合宿に参加。3月11日、東日本大震災が発生する。
※学年はすべて当時。参考資料『ソフトテニス・マガジン』2011年6月号、一部抜粋
2010年6月ハイスクールジャパンカップ
丸中/鈴木、最先端テニスにトライでV!
この年、ハイスクールジャパンカップの代表となったのが丸中大明/鈴木琢巳。ふたりには期するものがあった。前年、チームメートの船水雄太/九島一馬が1年生で準優勝を飾っていたからだ。
「同級生の船水/九島を越えたかった」(丸中/鈴木)
アゼリアカップ、私学選抜大会、そして選抜と連勝していた東北のダブル後衛ペアに対するマークは厳しくなっていた。コンディションも決して良いとは言えない中でも、戦いを重ねるごとに立て直し、決勝進出を決めた。
決勝は、前年同様、高田商業vs東北のカードとなる。相手は1学年上の小栗元貴/榎恭宏で、ストロークからネットプレーを繰り出す丸中/鈴木の打球をカバーリングよく返球。しかし、東北ペアのネットプレーの威力はそれをも上回る。結果、G④-1で振りきってリベンジを果たす。
この大会での丸中/鈴木は、船水/九島へのライバル心に火がつき、とにかく勝ちにこだわった。さらに、高校選抜優勝以降、相手にダブル後衛対策を練られることを想定。アプローチショットからのネットプレーの精度、そして破壊力に磨きをかけ、予想以上の進化を見せた。
当時、高校男子界でも、男子日本代表同様に、最先端のダブルフォワードの陣形を取り入れ、戦うペアも多かった。雁行陣からオールラウンドなテニスを目指すケースがほとんどだったが、丸中/鈴木はふたりともベースラインプレーヤーであり、イメージ的には硬式テニスのシングルスプレーヤー2人のペアのようだった。そこからスタートし、この時点では2人がダブル後衛からダブルフォワードの陣形でも戦えるよう強化していた。
持ち味は異なるが、船水/九島とともにチームを牽引するこのペアが、どこまで自分たちのテニスを確立していくか。そして、この2組を擁する東北のチーム力は、どこまで高まっていくのか。楽しみでならなかった。
2011年3月~高校選抜直前
被災――抗いようのない現実に向き合いながら
2010年シーズンの団体戦、東北は選抜優勝後のインハイでは8強決めで沈み(個人では山田拓真/田中建が準V)、タレントぞろいのチームとしては不完全燃焼なシーズンを過ごした。ライバルも当然、打ち破るために努力を重ねる。それだけ常勝というのは難しいわけだ。
東北の主力メンバーにとって、次なるシーズンは高校最後の一年となる。何としても、もう一度、日本一の座につく――2010年後半の悔しさを払拭すべく、自分たちの力を発揮すべく、選抜出場を待ち望んでいた。
しかし……3月11日、東日本大震災に見舞われる。東北地方出身の大半の部員の故郷が、甚大な被害を被った。中津川澄男監督ほか、日本ソフトテニス連盟のアンダー合宿に参加していた選手たちは、合宿場所の三重県から東北地方へ。家族と連絡が取れない、被災地の様子がわからない、苦労しながら東北の地へ戻ったものの、故郷では電気・水道・ガスといったライフラインが途絶え、復旧の見通しをつかないままだった。
多くのソフトテニス関係者が被災地のことを心配する中、東北高に三重高の垂髪隆一校長(元・三重高男女ソフトテニス部監督)から無事帰省できたかどうかの確認の連絡が入った。
「大変なら、うち(三重高)で生活したら」(垂髪校長)
東北高では震災から数日後に寮も閉鎖となっていた。選手たちの保護者も、「子どもだけでもまともな生活をさせたい」という声もあり、東北高校長が三重高へ正式に一時避難の形で受け入れを打診。東北メンバーは、三重高のクラブハウス2階を借りての生活、そして日中は合同練習と約1か月過ごした。
「保護者からも『普通の食事ができ、その上練習まで参加させていただいた』という声が寄せられましたし、三重高のある松阪市内の皆さんには差し入れなどを含め、多大なご支援をいただき、本当に感謝しています」(東北高・中津川監督)
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