【行われなかった選抜③】選抜中止からインハイVへ、船水雄太「僕らはプレーで勇気づける」
WEB特別企画・センバツを振り返るVol.4最終回『東北高』文◎八木陽子
2017年の全日本高校選抜が3月28~30日に愛知県名古屋市・日本ガイシスポーツプラザで行われる。ソフトテニスマガジン・ポータルでは、WEB特別企画としてソフトテニス記者の八木陽子氏による『センバツを振り返る』をソフトテニス・マガジンの秘蔵フォトとともにお届け。
2011年3月11日に発生した東日本大震災で東北高の寮は閉鎖となり、ソフトテニス部員は三重高に一時避難した。その間に、高校選抜の中止が正式に決定。高校選抜連覇を果たすことができなかったメンバーたちは、さまざまな思いを胸に夏のインターハイに臨む。
※学年はすべて当時。参考資料『ソフトテニス・マガジン』2011年6月号&10月号、一部抜粋
「複雑な気持ち」で甲子園出場の野球部の応援に
2011年3月18日、高校選抜大会の中止が決定された。被災者への配慮や社会情勢を考慮した結果だった。ほとんどの競技の高校選抜が中止される中、高校野球、硬式テニスのみは開催。東北高は野球部が選抜出場を決めていたため、ソフトテニス部の選手たちは避難している三重県から甲子園へ応援に行った。
当時、中津川澄男監督は「とても複雑な気持ちでした。野球部は負けましたが、やはり勝敗は別にして自分たちも選抜大会に出場したかったという思いが強くなったからです。生徒たちの様子をうかがっても、友達が全国大会に出場する姿を見て、自分たちも出場したかったという気持ちがますます強くなっていたような気がします」とソフトテニス・マガジン誌上に手記を寄せている。複雑な思いは、計り知れない……この年の選抜はもう二度とないわけだから。
そして、その葛藤は、東北だけではなく、出場チームそれぞれが抱いていたものだった。この年の選抜が初出場だったチームも男子2校、女子3校があり、「初出場のチームももちろんですが、20年ぶり2回目の出場となる弘前実業高さんなどは、とても無念だったろうと思いました」と中津川監督。
故郷へ戻り、東北高ソフトテニス部は石巻地区の高校のコート整備や片づけ、ボランティアに駆け付けた。全国、世界中の人々がテレビ画面で観た、がれきが積まれた風景――テニスコートには工場から流れてきた残骸やヘドロ、干しあがった魚などが散在する様子――そういったものを生で見て、選手たちは抗えない現実を目の当たりにした。
どれほどの人が被災し、命を奪われたのか。これからの生活はどうなるのだろうか。多くの人々が深い悲しみに見舞われている。さまざまな思いに押しつぶされそうな中、果たして自分たちはテニスをしてもよいのだろうか。
だが、震災後も「テニス頑張って。応援している」と多くの人々に声をかけられたという。
「地元の方々ももちろんですが、試合会場など別の地域に住んでいらっしゃる方々からも声をかけていただきました。僕らが元気よくプレーすることが大事なんだと痛感しました。僕らのプレーで多くの人を元気づけたい」(キャプテン・船水雄太)
高校生として頑張れることは、勉強と部活動に一生懸命に取り組むこと。目の前の戦いに全力で向かっていくことを胸に、しっかりと前を向いて立ち上がった。
2011年7、8月インターハイ
苦難を乗り越え、すべてをかけ、夏へ
青森で開催されたインターハイ。個人団体ともに、決勝のカードは東北vs上宮となった。先に行われた個人戦では、船水雄太/九島一馬が東北高初の個人Vを達成。宮城県勢男女としても初であった。
団体では、昨年の覇者である上宮に対し、第1試合をファイナルで奪われたものの、丸中大明/鈴木琢巳がG0-2から逆転勝ちし、エースが3番勝負へ。スピーディーな展開から、船水/九島は一気にG④-0。7年ぶり2回目の優勝を決めた。
団体、個人2冠――苦難を乗り越えて、頂点へ上り詰めた東北。選抜で戦う機会は得られなかったが、その分の思いもすべて、夏にかけた。被災地の人々の代表として、力強く戦う姿は、私たちの目に焼き付いている。
>>【行われなかった選抜①】1年大将の船水/九島と丸中/鈴木の躍進で選抜V
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