全日本大学王座決定戦(6月7~9日)では、日体大を破り、早稲田大は連覇を達成した。船水颯人は負傷明けながら「大将」として上松俊貴とともに3番を任され、1~3年生主体のチームを盛り立てた。早稲田大3年生となった船水颯人にとって団体戦はどんな意味を持つのか。
ソフトテニスマガジン・ポータルでは、船水颯人の2018年ジャカルタ(JKT)アジア競技大会に向けた取り組みをインタビュー連載で追っていく。船水颯人『JKTへの道』第18回は大学王座と早稲田大を背負うことについて。
船水颯人/ふねみず・はやと 1997年1月24日生まれ、20歳。青森県出身。身長170㎝、右利き、後衛。黒石烏城クラブ(小1)→黒石中→東北高→早稲田大3年
「大将」として堂々と、どっしり構えることができた
――大学王座で優勝したとき、とても喜んでいた姿が印象的でした。
今回はメンバーに4年生がいなかったこともあり、チームをまとめるのも僕の役割だと思っていました。そんな中で、全員で優勝を勝ち取れて、いつも以上にうれしかったです。
――チームをまとめる責任を背負っていたのですか。
誰かに任されたわけではないんです。あくまで、自分の中の問題として、チームを託されているという意識で戦っていました。責任を持ってプレーしようと。自分のプレーだけではなく、チームとして勝つことを考えていましたね。
――その責任感は、どのような言動に表れていましたか。
早稲田の「大将」として、堂々とすること。「3番」として、どっしりと構えることができたと思います。
実は大会前、ケガの影響があり、思うように練習できていなかったんです。全日本シングルスが終わってから、ほとんどボールも打ってなかったので。
だから、「僕が出場してもしょうがない。ほかの選手を出してください」とも話したのですが、監督や4年生から「出てほしい」と言ってもらい、出場を決めました。正直、準備不足だったので不安要素のほうが多かったです。
――不安要素がある中でも、コートではどっしりと構えていたのですね。
相手には、こちらの事情は分かりませんから。プレッシャーを与える意味でも、不安な素振りは見せなかったです。チームの柱として、「大将」らしく振る舞っていました。1年生にも伸び伸びとプレーしてほしかったので。
1番の内本(隆文/星野慎平)、2番の因(京将)、4番の内田(理久)には、プレッシャーを感じずにプレーできるように「自由にやっていいから」と声を掛けていました。「3番の僕が勝つから」って。
僕は試合前、誰とも話さないタイプですけど(笑)
――後輩にはよく声を掛けるのですか。
特に1年生には声を掛けます。高校と大学の舞台は雰囲気が大きく違います。早稲田大という看板を背負いますし、王座は体育館(インドア)で、環境が変わると、硬くなることもあります。緊張して、普段の実力が出せないというのはもったいないですから。みんな実力があるので、余計にそう思います。
――「緊張しなくていいよ」と声を掛けると、変わりますか。
何も声を掛けないよりはいいと思います。少しは緊張もほぐれていたのかなと。
――船水選手もそうでしたか。
いや、僕の場合は違いますね。試合前は誰とも話さないようにしているので。先輩からそう言われても、「ういっす」くらいでした(笑)。
――高校と大学では、大会に臨む緊張感が違うのですか。
そう感じることはあります。インターハイなどとも違うなと。大学は卒業してから(社会人で)ソフトテニスを真剣に続ける人が少ないので、「最後」に懸ける気持ちは強いですね。その4年生の特別な思いを感じると、僕は先輩のためにも勝ちたいという気持ちが出てきます。お世話になっていますし、「4年生を勝たせてあげたい」って。
僕らが4年生になったときにも、後輩からそう思われるようになりたいです。それがチームの結束力につながり、早稲田の強さになると思います。
※次回は7月6日に公開予定
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