前回に続き、全中の話を。「青森の無名の中学生だった」という船水颯人が初出場した全中で3位となり、U-14に選出された。「世界一になる」という夢に一歩でも近づくために。U-14合宿で積極的に取り組んだこととは?
ソフトテニスマガジン・ポータルでは、船水颯人の2018年ジャカルタ(JKT)アジア競技大会に向けた取り組みをインタビュー連載で追っていく。船水颯人『JKTへの道』第25回は中学時代を振り返る。
船水颯人/ふねみず・はやと 1997年1月24日生まれ、20歳。青森県出身。身長170㎝、右利き、後衛。黒石烏城クラブ(小1)→黒石中→東北高→早稲田大3年
必死に食らいつき、何でも聞いた
――前回に引き続き、全国中学校大会の話を聞きたいと思います。中学2年で3位となり、人生が変わったと話していますね。
小学生の頃からずっと「世界一になりたい」と口にしていたのですが、全国大会で結果を残し、少し現実的になってきたのかなと。それまでは、周囲の人たちも「田舎の中学生が何を言っているんだ」と思っていたでしょうね(笑)。何の実績もなかったので。
――全国の実績は大きかった?
全国で3位になったことで、中2の終わりに年代別の日本代表候補(U-14)に選ばれ、レベルの高いところでプレーするチャンスをもらいました。この機会を逃すと、「夢は果たせないぞ」と自分に言い聞かせたのを覚えています。
そして、強い選手たちに食らいつくために、必死に練習していました。分からないことはU-14の指導スタッフに何度も聞きました。
当時、U-14代表の監督だった篠邉(保)さん、コーチの池田(征弘)さん、トレーナーの深間内(誠)さんとは積極的にコミュニケーションを取りましたね。日本代表の指導を受けるチャンスもそうそうなかったので、どん欲でしたよ。
――当時、代表のコーチングスタッフには何を聞いたのですか。
特にトレーナーの深間内さんには、中学生でもできるフィジカル系のトレーニング方法をよく聞きました。俗に言う体幹トレーニングです。当時はほとんど知識がなかったので。いまのカラダの基礎があるのも、深間内さんのおかげです。
「勝っちゃったよ」が素直な気持ち
――全中で最も思い出に残っていることは?
2年生のときに星野(慎平)と対戦したこと。星野は小学生のときからずっとスターでした。全国大会で対戦できること自体が信じらないという気持ちでした。
――それでも、試合は勝ちました(8強決めで対戦し、船水/小田桐がG④-3で新子/星野に勝利)。
あのときは、「勝っちゃったよ」というのが素直な気持ち。信じられなかったです。あとで星野に当時のことを聞いたのですが、「あれは誰なの?」と思っていたみたいですね(笑)。青森の無名の中学生に負けたわけですから。
その後、僕は準決勝で1年の内本(隆文/丸山海斗)に負けるんですよ……。1学年下でしたが、驚くほど強かった。これまで経験したことがないくらい。だから、年下に負けて悔しいという気持ちはほとんどなくて、むしろ、こんなすごいヤツがいるのかと思いました。それが、いまはみんな大学のチームメートですよ。面白いですね。
――全中に出場した先輩として、今年、出場した選手、できなかった選手たちへアドバイスがあれば、お願いします。
目標と夢を持ち、モチベーションを高く保つことです。チャンスは、いつ来るか分かりません。その機会を逃してはいけない。きっと、何度も来ないから。いつも言っていることですが、日頃の練習が大事です。
※次回は9月初旬に公開予定
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