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【上岡俊介&広岡宙①】内本/丸山はあこがれの存在であり目標。周囲からもそう意識させられてきました(広岡)

注目選手の対談シリーズに上宮高の上岡俊介/広岡宙が登場。上宮中で全中団体を2度制し、高1でインターハイチャンピオンに。最終学年の今季、ハイスクールジャパンカップのダブルス優勝&シングルス1位と2位、インターハイ団体3位&個人準優勝を果たしている。

10月の天皇杯では、史上4組目の高校生4強となった上岡/広岡。来春、大学進学と実業団入りを控える2人の対談第1回は、上宮中へ進むきっかけとなった偉大な先輩・内本隆文/丸山海斗への思いと、届かなかった最後のインハイタイトル、高校時代に強くなるためにしていたことを語る。

上岡俊介(写真左・上宮高3年)
うえおか・しゅんすけ◎1999年12月24日生まれ。和歌山県出身。身長178cm、右利き、後衛。和歌山LCC(小1)→上宮中→上宮高。2017年全日本U-17。2018年4月、同志社大進学予定。

広岡 宙(写真右・上宮高3年)
ひろおか・そら◎1999年6月2日生まれ。兵庫県出身。身長171cm、右利き、前衛。三田ジュニア(5歳)→上宮中→上宮高。2017年全日本U-17。2018年4月、日本リーグ8連覇中のNTT西日本へ。

僕らのペアは自然、お互い信頼し合ってる

―――小学生時代から、上岡選手が和歌山で、広岡選手が兵庫代表として、全国大会で頂点に。上宮中で一緒にテニスをしようと話していたのですか?

上岡 小6の全小が終わって、JOC杯のときに、南部先生(法正・現上宮中コーチ)に指導していただいて、もし上宮中に入学できたら、1年に僕らの代、そして3年にはウチマルがいることになる。「じゃあ、行こう! 上宮で頑張ろう!」と思って。

広岡 僕もJOC杯で南部先生に指導していただきました。

名門ジュニアの和歌山LCCで小1からソフトテニスを始めた上岡(左)。小6の全小で個人V&団体4強

5歳の時に三田ジュニア入りした広岡宙(左)。小6の全小個人決勝で上岡に敗れて準優勝、団体は優勝

――あの~お話しの途中ですが、「ウチマル=内本隆文/丸山海斗(現早稲田大/現明治大)」ということですよね。

上岡 そうです、そうです! 僕らはよくウチマルって呼んでいます(笑)。

広岡 小学生時代から僕と上岡は仲がよかったのですが、僕自身は、小学生のときに奈良の明日香で行われた全中で上宮中を見たのが決め手でした。

上岡 上宮が団体優勝して、内本/丸山も強くて。一緒にテニスができたらいいなと思って。

――同じ上宮中に入学し、ペアを組み始めたのは?

上岡 初めはそれぞれ3年生の先輩と組んでいたんです。でも、1年の冬の近畿大会からペアを組んで優勝して。

広岡 入学した頃に、小牧(幸二)先生からはいずれ「上岡/広岡で行くぞ」とは言われていました。

上岡 僕らのペアは自然ですよ。お互い信頼し合っているんで。中学では同じクラスにはなっていないんですけど、高校は高2、高3で同じクラスになって。

今のクラスでは、ソフトテニス部は上岡/広岡だけなんです。めっちゃ(キャラの)濃いクラスなんですよ。ほかにラグビー部、ダンス部、サッカー部、軽音楽部とかもいて。最近は、ラグビー部にトレーニングの仕方を教えてもらっています(笑)。

試合とかで授業を抜けることがあるじゃないですか、よくクラスのみんなにノートを借りたりしていました。テスト前にアンダー合宿があったり、国体はテスト中だったりとか、しんどかったです。でも、勉強あってのテニスですから。

上宮中1年時に全中団体優勝(チームとしては連覇)。右から南部先生、上岡、広岡。優勝旗を持っているのが丸山、その右が内本

内本さん…僕のこと、だいぶ好きみたいです(笑)

――話はそれましたが(笑)、とっても楽しい高校生活のお話を伺えてよかったです! ちょっとテニスの話に戻って。やはり先輩の内本/丸山の存在は、おふたりには大きかったようですね。

広岡 ずっと内本/丸山を意識してきて、周りの人からも内本/丸山が「目標」だと意識させられてきました。ただ、それが嫌だとかではないんです。あこがれの存在でしたから。内本/丸山にできるプレーがあって、2人に比べて僕たちにできることが少なかった。僕ができない部分を克服できたら、インハイのタイトルをとれたかも…。

――例えば、どのような部分が克服できなかったのでしょうか?

広岡 負けているときでも積極性を持ってプレーするという点ですね。丸山さんは負けているときに、レシーブでも攻撃して決めていく。そういうところがすごいし、あこがれです。一緒に練習しているときも、近くで学んでいました。僕らが大将ペアになって、全然勝てずにいたときも、小牧先生はもちろんですが、丸山さんにも質問していました。

上岡 僕も内本さんにはフォームのこととかをよく話していました。一緒に乱打したり、1本打ちでチェックし合ったり。調子が悪いときにフォームがどうなっているかなど、お互いに見ていたり。

JOC杯の前など、シングルスの練習に付き合ってもらったりしました。内本さんが卒業してからも、YouTubeに内本さんの試合動画がアップされるので、それを見てチェックし合っています。そして、たぶん、内本さん…僕のこと、だいぶ好きみたいですよ(笑)。

ウチマルが卒業して、僕らがチームの中心になったとき、やはり精神的にきつかったんです。今までウチマルに相手をしてもらってきたわけですが、今度は逆に僕らがチームメートの相手をする。それもあって、よく高田商業に練習試合に行っていました。刺激もあるし、校内では勝てても、高商の選手と試合すれば負けることもあるわけで。たくさん学ばせてもらいました。高田商業の人たちの存在も大きかったです。

広岡 高1のとき、「絶対にインハイ(個人)に行ける」と周囲に言われていたんですけど。予選の2回戦で負けたんです。そのとき、「高校はそんなに甘くないんだ」と痛感させられて。そこから気持ちを入れ替えたんです。

内本/丸山が卒業して、僕ら上岡/広岡が高2でチームの中心になり、正直なところ、県外にいかないとなかなか負けることはなくて。でも、高商に行けば力の差もあって、簡単には勝たせてもらえない。高2、高3と行く機会も増えて、高商で育ったという感じもあるんです。

――高田商業とはお互いに高め合う関係だったわけですね。ちなみに、高商には週末に行っていたんですか?

上岡 平日、学校が終わってから行ってました! ウチの学校から、近鉄で40分で行けちゃうんですよ。

2人が6年間通った上宮中高の校舎で。円柱の先の中庭にテニスコートがある


取材・構成◎八木陽子 写真◎江見洋子、BBM

上岡俊介&広岡宙対談
第1回 内本/丸山はあこがれであり目標
第2回 天皇杯4強の理由は対応力
第3回 上宮中高での6年間を振り返る
第4回 4月から別の道へ

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