東北高と中京大時代に三度の日本一を経験した荻原雅斗さんは、大学卒業と同時に単身でカンボジアへ渡った。現在は、カンボジアのソフトテニスナショナルチームでヘッドコーチを務めている。
カンボジアへ渡って早5年。ソフトテニスの海外普及に奮闘中の荻原さんは、いったいどんな日々を過ごしているのか。
カンボジアでのリアルな生活を直撃する連載第2回は、カンボジアナショナルチームが初めて国際大会に出場した話。ゆるく楽しく活動していたチームは、偶然の出会いから急転直下で世界選手権に出ることに……。
荻原雅斗/おぎわら・まさと 1990年7月1日生まれ。岐阜県多治見市出身。Global Grow Cambodia 代表取締役社長。青年実業家。 東北高→中京大→カンボジア。ソフトテニスを12年間続け、学生時代に三度の日本一を獲得。現在はカンボジアソフトテニスナショナルチームのヘッドコーチとして活動中。また、教育(スポーツ・音楽・文化交流)という軸でさまざまなプロジェクトの構築を行っている
発足したばかりで国際大会へ。テレビの取材が殺到
ーーカンボジアでは2014年にソフトテニス連盟が発足し、荻原さんは2015年4月にナショナルチームのヘッドコーチに就任されました。選手はどうやって集めたのですか?
事務局長が運動神経のいい子に声をかけて選手を集めていたので、僕が就任した時にはすでに男子選手が7、8人いました。女子選手も3人くらいいましたね。
当時はゆるい雰囲気で、練習はいつ来ていつ帰ってもいいという感じ。なので僕もヘッドコーチといえども毎日コートに顔を出すわけではなく、コートに行っても誰が来ていないのか把握していないという状況でした。
ーーそんなチームがなぜ、2015年にインドで行われた世界選手権に?
当時、『日本語で読めるカンボジアニュース』というWEBメディアに関わっていたのですが、2015年9月にその仕事でカンボジア政府の日本人窓口を訪ねたんです。
その時の担当者がたまたま、日本連盟の国際委員会で委員長を務める丹崎健一さんの息子さんでした。「ソフトテニスをやっているの? 父が『何かできることがあれば』と気にしていたよ」と声をかけていただいて。
世界選手権のエントリー締め切りは2か月前に終わっていたのですが、何とかエントリーさせていただき、さらに日本連盟と国際連盟、韓国連盟にも支援をいただくことが決まり、世界選手権に出られることになったんです!
ーーチームの反応は?
初めての国際大会出場でしたから、士気は一気に高まりました。みんなでそろいのユニフォームを作ったり。みんな真面目にコートに来るようになって、ナショナルチームらしくなってきたなと。大会まで2か月を切っていましたが(笑)。僕もできるだけコートに行くようにしました。
実はカンボジアでは、資金が足りずに国際大会出場をあきらめる競技が多いんです。なので、発足したばかりのソフトテニス連盟が国際大会出場を決めたことはビックニュース。「すごいことだ!」と注目され、何度もテレビ取材を受けました。
初めてボレーを見て「マサトが言っていたのはこのことか!」
ーーいよいよ世界選手権へ。
公開練習で日本選手のプレーを見ることができたのですが、彼らはその時初めてソフトテニスを理解したと思います。というのも、カンボジアのソフトテニスは硬式テニスの流れが強くあるので、ベースラインと、サービスライン付近でのハーフポジションが主流です。
ヘッドコーチに就任したとき、僕は前衛なので「ボレーは自信をもって教えられる」と張りきって指導していたんです。でも彼らにはボレーや前衛といった概念がないので、何度言っても理解してもらえなかった。ロビングについても同様でしたね。
身体能力はすごく高いけれど、ノウハウを一つも知らないカンボジアのナショナルチームの選手たち。サーブとストローク力は抜群。でもボレーに関しては初心者。ボレーは自分が唯一自信を持って教えることができるプレー。世界選手権までに仕上げる。 pic.twitter.com/TyebgH8fGc
— 荻原雅斗@カンボジア (@masato_ogiwara) 2015年4月20日
ーー日本の公開練習を見て、初めて理解したんですね。
彼らは初めて”前衛”を知り、ボレーを見ました。「マサトが言っていたのはこのことか!」と驚いていましたね(笑)。
ーーもし、世界選手権に出られていなかったらカンボジアチームはどうなっていたのでしょう?
きっと、何も変わらず「ゆるく」「楽しく」やり続けていた思います。ちなみに、世界選手権に出ていないラオスは、年に1、2回韓国からコーチが来て、1か月くらい滞在して指導しています。コリアカップにも招待してもらっていて。カンボジアチームも、そんな風に韓国の支援を受けることになったのではないかと思いますね。
今、カンボジアナショナルチームは、2015年の世界選手権出場の実績が認められて、国からの支援を受けられるようになりました。コートの改修や寮の設置など練習環境も整備され始めたので、大きな転機となった出来事でしたね。
カンボジアあるある by荻原雅斗氏
②4月中旬の正月は完全オフ!
カンボジアの正月は4月中旬の1週間程度。この期間はすべての仕事が休みとなり国民はみな田舎に帰るため、首都プノンペンはゴーストタウンと化すという。
2014年、プノンペンに年中無休のイオンモールができたが、4月の正月休みがないことで多くのスタッフが辞めたこともあったそう。
最近では、日系企業などで少しずつ正月も働く風潮になっている。