【ソフテニ姉さんの高校時代は想像以上に体育会系だった】ろくろで無理やり伸ばされている感じです
本山友理インタビュー①ソフテニ姉さんの部活生アップデート
Twitter界隈ではソフテニ姉さんの愛称でおなじみの本山友理(@yuritenigon43 )さん。大学在学中からモデルとしてキャリアをスタートし、現在はパラスポーツを盛り上げる活動をしている。最近、結婚されてますます洗練された輝きを放つ本山さんだが、高校時代は強豪の中村学園女子高ソフトテニス部に所属し、選抜やインハイに出場したバリバリの前衛だったことをご存じだろうか?
STMポータルで部活生の人生相談企画を持ちかけたところ、姉さんは快諾。相談を募集する前に、「毎日苦しかった」「楽しいものがほとんどなかった」というソフテニ姉さんの超体育会系な高校時代を振り返ってもらった。
A4のノートに隙間なくぎっしり書き続けて、20ページ
――ソフテニ姉さんがソフトテニスを始めたきっかけは?
進学した中学が小さな女子校で、部活動が卓球部とソフトテニス部しかなかったんです。あと帰宅部と。当時の私にとっては究極の三択で、いとこが同じ学校のソフトテニス部だったので入りました。
その前は兄の影響で小1からソフトボールをしていました。長崎県はソフトボールが盛んな地域で、私も部があれば本来ならソフトボールをやっていたはずです。
――中学時代はどれくらいのレベルの選手だったのですか?
一つ目の目標は遠征に行くことでした。勝てないと大きな大会に出られないし、遠征にも行けない。練習試合で遠征にという学校じゃなかったし、部活は学校教育の一環というところでした。
ただラッキーなことに、中2のときに実業団でプレーされていた先生が赴任されたんです。厳しい先生で中2から引退までの1年半はすごく真剣に勝つことを目標にやっていましたね。県大会個人戦ベスト16が中学のベストです。
――県16強から県外の強豪・中村学園女子高へ?
元実業団の先生の元監督が中学に教えに来てくれていて、中村の話をよくしていたんです。「こんなすごい高校生がいる」というのを聞いて、日本一を目指してやっている学校があるんだ、行ってみたいなという感じです。
そもそも私の実力じゃとても入れるレベルじゃないんですよ。中村は中学で全国大会に行った選手が推薦で入ってくるような学校なので。私が行きたい、行きたいと、ずっと言っていたので、たまたま枠が一つ空いて、入れてもらった感じです。
――中村学園女子は全国レベルの名門で、練習もかなり厳しいのではと思ってしまいます。そこに飛び込んでみたいというのが、姉さんなんですね!
いやいや、ただ知らなかったんです(笑)。強くてすごい人たちがたくさんいる場所とは知っていたんですけど、どれだけ厳しいかは聞いてなかった(笑)。とにかくそこに行けば勝てる、強い人とプレーできると、いいところだけしか見てませんでした。
――実際に飛び込んでみて。
入学前に春の合宿があり、1年生がやらなきゃいけない仕事の決まりをノートに書き出したんですけど、すごい数でした。A4のノートに隙間なくぎっしり書き続けて、20ページくらい書いてましたね~。コートの中だけでなく、寮生活の決まりも。
入学するために長崎から福岡に移動する車の中でたまたまKiroroの『もう少し』という歌が流れてきたんですけど、「もう少し家にいさせてくれ」って思ったのを覚えています(笑)。
――高校から寮生活だった?
もともと家を出たい願望があって、高校になって夢がかなった感じなんですけど、楽しい寮生活ではなく(笑)。1年生は畳に座っちゃいけないという決まりがある寮生活でした。
――差し支えない範囲で、当時の決まりを教えてもらえますか?
他の子の部屋に入っちゃいけない、大きな声で同級生の名前を呼んじゃいけない、先輩に質問しちゃいけない、先輩に話しかけるときに「すみません、先輩」から入らなきゃいけない、などです。
――部屋に入っちゃいけないは何となく分かりますが、畳に座っちゃいけないは…。
私たちはその決まりになった理由を聞かされないんですよ。たぶん邪魔だったんじゃないかな、とか、そうやって解釈するしかないんです。
――同級生は?
同学年に11人、寮生活は5人。同級生とは仲が良かったですね~。いま思うと寮で良かったなと。苦しい生活に適合しやすくなりました。真冬も冷たい水で大丈夫だし、すごく静かに戸を閉めるとか。人と暮らすのも平気なので、いま結婚して人と暮らすのは10年ぶりだったりするんですけど、全然、気になりません(笑)。
練習を試合のマインドに持っていくのがすごい
――今年のインハイ名鑑を見ると中村学園女子高の練習時間は週27時間、それほど長くないですね。
もっと練習しているところはあると思います。私が2年生のときに外薗(茂)先生が戻ってきたんですけど、さらに休みも増えました。
――短い練習時間でどんなことをやっているんですか?
やっているメニューは変わらないんですけど、意識改革がすごいんです。練習を試合のマインドに持っていくのがすごい。同じ3本打ちでも、質が違う3本になるんです。試合でミスすると次はないけど、練習でミスしても次がある、それが練習ですよね。外薗先生の練習は、ミスしても次がないと、練習の中で意識させる練習なんです。
――どうやって意識を変えるんですか?
ミスしたら腕立て何回とか、そういう時期もあったんですけど、ほんと一時期で。先生のプレッシャーがすごかったです。常にミスしちゃいけないというプレッシャーの中で練習できるかが、強くなる秘訣なんだなって、そのとき思いましたね。
――試合ではもっとプレッシャーがかかるのでは?
練習試合がつらかったですね~。言われるのは、勝ち負けより内容に関してです。一番怒られていたのは、もともと持っている力があるのに怖がってできないとか、勇気をもってプレーできないとかですね。弱気になって、自分を信じてプレーできてないときが、怒られるポイントだったりします。
――怒られるから弱気になることもあるのでは?
それもあるんですけど、ただ、やっぱりそこを越えていける人は強いんですよね~。そのときにうまく乗り越えられなくても、次に生かせるというのはあるので、大人になってちょっと怖い人に会ったときに、うまく乗り越えられたりするんです。経験はずっとつながっていくと思います。
――本山さんは過去のインタビューで怖い人ほど優しいと。
優しいです。外薗先生は、100%生徒の成長を考えている先生でした。
――同じインタビューで「高校時代の部活の思い出に、『楽しい』ものを探してもほとんど思い当たりません。毎日苦しかった」と。
ハハハハハ(笑)。練習は苦しかったですねー。すごく素直に話していると思います(笑)。
例えると…ろくろで器をつくっているときって、徐々に粘土をこう広げていくじゃないですか。完成したときは「ワー、いいのができた!」という気持ちになるんですが、その過程で土側の気持ちになると無理やり伸ばされてたりとか、こっちに行きたくないのにこっちに行かされてるとか(笑)。
言うなれば、土とか粘土の気持ちなんです。無理やり押されるときもあるし、引き伸ばされるときもある。本当だったら何もせず、大人しく塊になっていたいんだけど(笑)、粘土が柔らかいうちに無理やり伸ばせっていう感じです。そういう意味ではつらかったですね。
ただ、やっぱりでき上がったものを想像すると越えられることもあるし、毎日、楽しく生きることを望んでいたわけじゃないので。強くなること、人として成長することを目指していた。そういう意味では最高の日々でしたね。
その2に続く…(あした12/1 20:00公開予定)。
本山友理
長崎県生まれ。身長170cm、右利き、前衛。精道中→中村学園女子高→法政大。高2時にインハイ個人出場&選抜8強、高3時にインハイ個人出場&団体8強
写真◎橋田ダワー 取材・文◎内田麻衣子