日本からカンボジアに渡るのは岐阜から東北高へ行ったときと同じ感覚「仲間がいれば夢は叶えられる」
荻原雅斗のカンボジア通信【不定期連載⑦】
カンボジアのソフトテニスナショナルチームで指揮を執って早4年。東北高と中京大時代に三度の日本一を経験している荻原雅斗さんが異国の地でソフトテニスを指導して感じることとは? 「仲間がいれば夢は叶えられる」。その思いの原点は東北高での3年間にあるという。
荻原雅斗/おぎわら・まさと
1990年7月1日生まれ。岐阜県多治見市出身。Global Grow Cambodia 代表取締役社長。青年実業家。 東北高→中京大→カンボジア。ソフトテニスを12年間続け、学生時代に三度の日本一を獲得。現在はカンボジアソフトテニスナショナルチームのヘッドコーチとして活動中。また、教育(スポーツ・音楽・文化交流)という軸でさまざまなプロジェクトの構築を行っている
「自分で考えてやる」は自由で不自由
——カンボジアナショナルチームの指導も4年目です。どんなことを大切にしているのですか?
一番は「選手が自分で考えてやれるように」ということです。これは、東北高時代の僕の経験なのですが、中津川先生の指導は常に考えさせられるものが多かったんです。自分たちの判断で行動することは、一見、自由なようですが、同時に不自由でもあり難しさもある。
でも、思春期の多感な時期に自分で判断することの難しさを知れたことは大きかったですね。コート外でも、例えば月曜日のオフなど時間の使い方を管理する経験は大人になってから役に立ちました。
カンボジアに来てからの生活は高校入学時に親元を離れて岐阜から宮城の寮に入ったときと感覚が似ていて。環境が県から国に、立場が選手からコーチに変わっただけで、カンボジアで新しいことを始めたというよりは今までやってきたことの繰り返しのように感じています。これまで通り常に考えながら行動するようにしているので、指導でもすべてを指示するのではなく、選手が自分で考えて動けるような声かけを心がけています。
——日本との違いでいえば、選手が時間にルーズで苦戦しているという話が。
時間を守る意識は、確実に定着してきています。最初の頃は試合開始ギリギリに到着して、アップもなしに入るなんてことも普通でした。でも国際大会での経験を重ねることで、決められた時間を守らなければ自分たちが困ったり、相手にも迷惑がかかってしまうことが分かってきた。今では、「試合前に練習するために早く行こう」と選手たちが自ら動き、1時間前には会場に入っています。
一方で、コミュニケーションに関しては勉強させられることの方が多いです。特にあいさつ。いつもニコニコしていて、「おはよう」や「バイバイ」など最初と最後のあいさつは徹底していますし、常に感謝の気持ちを忘れません。何かあれば、手を合わせて「ありがとう」と言う。言動や態度について指導したことはないです。
活動を続けるうち応援してくれる仲間が増えた
——元プレーヤーとして、カンボジアチームに欠けている点は何だと思いますか?
勝利に貪欲にという点はもちろんですが、まだまだスポーツマンという意識が薄いのが現状です。夏に東北高での合宿に参加したメンバーは少しずつ意識が変わっている面もありますが、大半が、甘いジュースを飲んだりストレッチをしないなど、身体のケアに対する意識もまだ低いですね。
「仲間がいれば夢は叶えられる」。これは、選手に日頃から伝えていて、僕自身に言い聞かせていることでもあるのですが。カンボジアチームの目標は、変わらず世界一。ソフトテニスを知らないメンバーが集まってのスタートでしたが、活動を続けるうちにだんだんと周りの環境が変わってきて、応援してくれる仲間もできました。
それは僕自身の「ソフトテニスをオリンピック競技に」という夢に向かう活動も同じで。最初は相手にもされていなかったのが、同じ思いを持つ人が少しずつ仲間となり、応援してくれる方も増えてきた。周りの環境も整ってきて、手応えを感じています。
チームや自身の活動のプロセスを振り返ると、東北高での3年間と重なる部分がありますね。当時は今と違って、東北高には東北地方の出身者がほとんどだったんです。日本一という目標を目指して岐阜から入学してきたのは僕だけ。そんな僕を、先輩や同級生が助けてくれました。仲間になって、一緒に日本一という夢を実現できたことは、今の活動の原動力でもあるんです。
どんな活動もそうだとは思いますが、一緒に頑張る仲間がいれば夢は叶うということは、これからも指導の柱としていきたいと思っています。
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写真◎BBM、荻原雅斗氏提供 取材◎井口さくら