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2025.03.10

現役引退の高橋乃綾、地元・北広島町での送別会でソフトテニスから『卒業』

高橋乃綾送別会◎3月9日/どんぐり荘(広島県山県郡北広島町)

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どんぐり北広島のメンバー、中本裕ニ監督と記念撮影。22年間取り組んできたソフトテニスから『卒業』した

 どんぐり北広島と日本代表で数々のタイトルを獲得するなど日本のトップランナーとして長年活躍し、今年度限りで現役を引退する高橋乃綾の送別会が、3月9日に地元・広島県山県郡北広島町の『どんぐり荘』で開催された。温かく見守ってきた地元の人々やスポンサーなど関係者が出席するなか、10年間のどんぐり北広島でのプレー、22年間の競技生活に別れを告げた。

「ソフトテニスを広めていきたい」

 1996年12月15日生まれ、岩手県奥州市出身の高橋は、小学1年生のときに地元の南都田スポーツ少年団で競技を始め、南都田中、札幌龍谷学園(北海道)を経て、どんぐり北広島で半谷美咲とペアを組むと一気に頭角を現した。加入2年目の2016年度に皇后杯で3位となり、全日本インドアで優勝すると、翌17年度には皇后杯準優勝、全日本インドア連覇。その後も全日本シングルス、全日本ミックスダブルスなど数々のタイトルを獲得し、23年からは岩倉彩佳とのペアでも昨年の皇后杯準優勝など結果を残した。

 日本代表でも素晴らしい活躍を見せ、18年にはインドネシアのジャカルタで開催されたアジア競技大会で、日本の男女を通じて初のシングルス金メダルを獲得しただけでなく、国別対抗戦の優勝と合わせて2冠を達成。19年の世界選手権では半谷とのダブルスと国別対抗戦で優勝して2冠、23年に杭州(中国)で開催されたアジア競技大会では国別対抗戦で連覇、ミックスダブルスでも優勝して2冠と、世界大会で計6個の金メダルを獲得した。

 平和カップひろしま国際大会で現役最後のプレーを終えた高橋は北広島町に戻ると、ソフトテニスからの『卒業』らしい鮮やかな振袖袴の着付けを済ませ、地元の後援会やスポンサー関係者など約100人が集まった会場に登場。冒頭のあいさつで中本裕二監督は「声は出さない、短い球は走る気がない。先輩方には『やる気がないならコートから出ろ』と言われ、いつも下を向いていて、大丈夫かなと思っていた」と加入当初のエピソードを明かし、「でも、他人と過去は変えることができませんが、自分が変われば、未来はいくらでも変わります。それを証明してくれたのが高橋乃綾です」と称賛した。
 
 高橋は「この(どんぐり北広島での)10年間は長かったようで、すごく短かったと感じています。今日が最後の試合で、終わった後も自分が引退するという実感が湧いていませんでしたが、(これまでの歩みをまとめた映像を見て)もう明日からここにいないんだなと思って、すごく寂しい気持ちになりました」と涙ぐみながらあいさつ。「監督と縁があって、私は初めて夢を持つようになりました。日の丸を背負いたいという夢でした。高校時代には夢のまた夢のようでしたが、2018年から日の丸を背負い、北広島町を世界へと広げることができたと思います」と語った。
 
 皇后杯では計3回の準優勝と、日本最高峰のタイトルには手が届かなかった。「2位が多く、優勝することはできなくて、すごく悔しい思いが残っています。後輩たちが来年度に取ってくれるだろうと期待しています」とエールを送り、「この10年間、想像もしていなかったような経験ができて、本当にうれしく思います。話すことも得意ではなかったですが、ここに来て地域の皆さんと話すようになったり、いろいろなことを自分から話すようになったのは、自分でも成長したなと感じました」と道のりを振り返った。
 
 その後は後援会からの『卒業証書』の授与、どんぐり北広島の後輩メンバーによる余興などが続き、多くの出席者が振袖袴姿の高橋と記念撮影をするなど別れを惜しんでいた。あいさつで「現役選手は卒業しますが、ソフトテニスが大好きなので、これからも競技にかかわりながら、ソフトテニスをいろいろなところに広めていきたい」と語った高橋は、ひとまず地元の岩手県に戻り、自らを高みへと押し上げたソフトテニスの普及などに力を尽くすという。

父の正幸さん、母の悦子さんと手をつないで入場

地元・北広島町の後援会やスポンサー関係者など約100人が門出を見守った

会場入口に設置された歩みのパネル

自筆のメッセージなどで来場者をおもてなし

あいさつでは涙で言葉に詰まる場面も

どんぐり北広島の後輩による楽しい余興も

後援会からは『卒業証書』が手渡された

父の正幸さん、母の悦子さんと記念撮影

取材・文・写真◎石倉利英